長い妄想【釣行記】
久しぶりに晴れ間が続いた。本当に久しぶりで、長雨にうんざりしていた気分までからっと晴れ上がるようだ。さあ釣りに行くぞ、何たって晴れたんだからな。どこ行こうかな。うへへ。
などとしまりのない笑顔で喜んでいると気付けばまた山奥で仕事をしているのであって、天気が良くなったら仕事が忙しくなるとはどういうことだろう。僕に喧嘩売ってるのか。上等だ、買ってあげません。ごめんなさい僕が悪かったです。早く解放して。
と泣きながら仕事をしてもなかなか終わらない。午後の始まりまで山奥でずっと仕事していて、終わったと思ったら事務所で缶詰になる必要がある。ホントもうアレだ勤め人ってろくでもない。これでたまに釣りに行けなかったら終身刑みたいなもんだ。
山奥から事務所まではクルマで一時間半はかかるので、時間はあまりない。すぐに帰らねばならぬ。ダム湖の横を通るけど、寄り道してる時間なんかないんだ。早く帰ってとっとと仕事終わらそう。だからダム湖で3投だけしていこう。
と我に返れば適当なスロープに車を止めて素早くタックルを用意している僕がいるわけで、何でだよと誰かに激しくツッコミを入れて欲しいところだけど、これはネタじゃないんだった。例え15分の釣りといえど僕にとってはマジだったんだから仕方ない。
水辺に来たらそんなことはどうでも良くなって僕は笑顔で竿を振る。時間がないのにワームなんて持ってきたら見えバスにまたはまっちゃって大変なことになりそうだったから、ここはトップのみ。というかヘドン/ベビーバドのみ。他のルアーなんかいらん。これで釣ってみろってんだ。
釣れるとは自分でもまったく思っていないので「きれいなキャスト」練習のつもりで少し沖のブレイクにある立木を目標に打つ。だってここは写真の通り、底がはっきり見えるどシャローだ。バスがいるとすればあのブレイク沿いだろうとは思うけど。
1投目で立木の横50cmにぴたっと決まった。おお。やるじゃん僕。ものすごい適当に投げただけなんだけど。波紋が消えるまで待ち、満を持してリトリーブ開始。うごうごかしょんと水面をもがき始めたベビーバドを眺めていた僕の笑顔はすぐに凍り付くことになる。
バドの後ろを大量のバスがずらっと追尾している。といってもたぶん30cm前後の小バスのスクールだけど、立木の手前のどシャローをものともせず興味津々でついてきておる。日中どピーカンのクリアなダム湖の1mもないどシャローで、バドに20匹のバスが着いてくる。これは夢だ。メルヒェンだ。
と言っても夏の日中にはけっこうバドが効くもので、僕も何度も釣った経験があるけど、それにしてもこんな障害物も何もないクリアなシャローでは初めてだ。バスは猫が獲物を追うように左右に振れつつ、口を開けて追尾してくる。すごく面白そう。はー、バドにはこんな反応なんだ。
しかしこんな、あからさまにルアーと見破りやすい状況なのに何でわざわざ着いてくるんだろう。理解に苦しむ。これを何かに例えれば、うーん、例えば地方に出張したとする。仕事を終えてビジネスホテルに投宿し、やれやれと部屋でくつろいでいるともう夜。腹も減ったし繁華街に出てみる。
小さな町で、特に何が名物と言うこともない。海が近いだけが取り柄だ。繁華街もどことなくうらぶれている。まだ宵の口なのにシャッターを閉めた店が多い。表通りはファストフードやチェーンの居酒屋が多くてつまらないので、裏通りの飲み屋街に何となく足を向ける。
平日の夜だからか、まだ時間が早いからか人通りはまばらだ。それでも赤ちょうちんの灯りや焼き鳥の匂いが鼻をくすぐり、路地裏の店から客の笑い声が聞こえる。涼しい夜風に吹かれつつ、何となく旅情を感じて気分が良くなってくる。
さてどこで一杯やろうか。こんな時に観光客向けの料亭なんかに入るのは台無しである。自分のような出張慣れした玄人はやはり、地元の常連の中でも知る人ぞ知る、この町の真の名店を探り当てたい。気の利いた肴や近くの海で取れた新鮮な魚貝があって、銘柄は少ないがうまい地酒があって、一人で飲んでも居心地のいい店。そこで今日の疲れを癒そう。
端から端まで歩いても、20分もかからない小さな飲み屋街を何往復しただろうか。どうもいい感じの店が見つからない。しけた居酒屋か気どった小料理屋ぐらいしかない。雑居ビルのスナックからは大きなカラオケの声が聞こえて入る気にもならない。
いい加減疲れた。腹も減ったし喉も渇いた。出張に来てまで何やってるんだ。ここは自分の勘を信じて当てずっぽうでどこでもいいから入ってみよう。路地裏の奥の小さな縄のれんに目星をつけ、おずおずと引き戸を開ける。
がらがらと古風な音で開いた扉。調理場から「いらっしゃい」とやる気のなさそうな声が掛かる。ああ、ここはダメだ失敗したと直感する。カウンターの向こうには腕利きの板前も並んだ地酒のビンもない。五十がらみのおばさんがエプロン掛けて立っているだけだ。
狭い店の中には薄汚れたデコラのテーブル。足下にビールケースが無造作に置いてある。白木だっただろうカウンターは無数の傷や焼け焦げだらけ。椅子はパイプの丸椅子だ。白く濁ったガラスのネタケースの中は、ビニール袋や伝票の物置と化している。店全体がくすぶったように薄暗い。ほこりだらけの造花が飾ってある。
このしみったれた町で、よりによって最上級にしみったれた店を選んでしまったらしい。そうなんだオレはいつもこうだ。玄人だとか気どっても見る目がないからこういう店しか引き当てたことがない。絶望的な気分になりつつ丸椅子に腰を下ろす。おばさんが「ビールでいいね」と勝手に水滴だらけの中瓶を目の前に置く。うわしかもドライビールかよ生ビールもないのかよ。
長居は無用だ。一本だけビール飲んだらとっとと出て、表通りのチェーン居酒屋にでも行こう。それが自分にはお似合いだと思いながらメニューを見る。プラスチックの下敷きに汚い手書きの紙が挟んであってますます暗澹とする。お通しは業務用のナムルだ。気分はどん底だ。
品書きを見る。「アタリメ 煮込み 冷や奴 モロキュウ」ダメだ。もう何もかもがダメだ。新鮮な魚はどうした。これなら白木屋の方が1万5000倍ましだと確信する。最後まで眺めてもメニューは決められない。だって5つぐらいしか選択肢がない。しかも煮込みはボールペンで線が引っ張ってあって消している。この店はダメだ。
途方に暮れつつメニューをもう一度眺めると、隅の方に何かを発見した。明らかに他とは違う、誇らしげな太文字で書いてある。これが真のお勧めメニューなのか。良く読んでみる。
「本マグロお造り 時価」
いやいやいや。あり得ないから。これはないだろう。だってアサヒのビールをキリンのラベルついたコップで出すような店だよ。そのコップが洗ったまま濡れてろくに拭いてないんだよ。カウンターに置いてあるダルマが両目とも入ってないんだよ。奥の方の蛍光灯が一個切れてるんだよ。どこの本マグロ出すつもりだよ。
いや、でも、本当にそんな店ならわざわざこんな気合入れてメニューに書かないんじゃないかな。ひょっとしてここが知る人ぞ知る名店なのかも知れない。メニューなんかないも同然で、地元の名物を知り尽くしたおばさんがお任せですごい料理出すのかもしれない。そう考えたらおばさんの顔もなんとなく名人のように見えてきた。
これ・・・頼んじゃおうかな。よせよ。なんだよその半笑い。絶対ろくでもないものが出てくるって。だいたい時価だし。でも他に頼む物ないじゃないか。旅先だしここはひとつ冒険で。いやいやダメだと思う。お前いつもそれで騙されてるじゃないか。こんな店で本物の本マグロがあるわけないだろう。食べられる代物か分かったもんじゃない。しっかりしろ。
と心の中で様々に葛藤しつつも、おばさんに「何にする?」と怠惰そうな声で聞かれた途端、反射的に頼んでしまう「ほ・・・本マグロください」。うわよりにもよって。あーあ、やっちゃったきっと後悔するぞ知らないぞ・・・
とか長い長い妄想をくれていたら、バドを追ってきた先頭のバスがしびれを切らしたように、ついに飛びかかり、水面を割った。あまりに妄想が長すぎてもう忘れている人も多いと思うけど、僕は山の中のダム湖でバスを釣っていたのである。
きっとバスも上記のような心理状態になり、「まさかーあり得ねー」とか思いつつ好奇心に負けて食ってきてしまったのだろう。気持ちは痛いほどよく分かる。バスに哀悼の意を表明しつつしみったれた飲み屋のおばさんたる僕は確実にランディング。26cmであった。
水面を見ると、あれだけ着いてきていたバスたちはわー。やっぱり嘘だったー。危ない逃げろーと蜘蛛の子を散らすように逃散し、人っ子一人いなかった。この26cmはよほどの馬鹿なのか。それとも好奇心が強すぎるのか。何にしろ遊んでくれてありがとう。
騙された詐欺だ返せ。とお怒りのバスはリリースすると、尾びれで激しく水しぶきを上げて帰って行った。うん、騙して悪いけど、あんな見え見えすぎるバドなんかに食いつく君の責任だ。僕だってそうなったら本マグロを無理にでも食べるよ。背中を丸めて食べるよ。
というところでふと気付いたら30分近く経っていた。狐につままれたようだが、きっと長い長い妄想がいけなかったのだろう。慌てて帰って事務所で仕事をして、一段落ついたから近所の居酒屋で夕飯を食べる。何となくマグロの刺身を食べたのは、あのバスへの罪滅ぼしである。
Tackle Data:
ダイコー/ギャレットGLC-632M+リョービ/バリウスM200+ポパイ/Pbナイロン14lbs
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