2006年07月21日
3500C
マイ・ファースト・アンバサダーは1983年の3500C。このマイナーなモデルにはちょっとした思い出がある。
黒の5000Cと銀の5500Cはどちらが格好いいか。ボロンとウイスカーはどちらが高感度で強いのか。
そのころ、僕らの話題と言えばそんなことばかりだった。肝心のバスを釣る方法については、トーナメントワームをちぎって使ったり、シャロークランクをゆっくり巻く、ぐらいの曖昧なメソッドしか語れなかったくせに。
カタログや店頭のガラスのショーケースに飾ってあるところしか見られなかったアンバサダーは、小学生の僕たちにはまさに高嶺の花で、だからこそ僕たちの憧れだった。お年玉を何年分もまとめないと買えない値段はもちろん、ABUが築き上げたブランドバリューと存在感は、子どもたちにとって「10年早い」と思わせるに充分だった。
その頃、釣具店は子どもが行く場所ではまだなかったのだ。おいそれと店の人に「見せてくれ」と頼むこともかなわず、手に取ったことすらない品がほとんどだった。
ちょうどそのころ、合併によりアブ/ガルシアと名前を変えたABUは、次々とニューモデルを発表していた。ウルトラマグ、FL/CBシリーズ、アウトスプールのカーディナル・・・。だが、やはり人気の中心はABUを象徴する5000番台を中心とした復刻品だった。
もっとも、新しもの好きだったので復刻版にそこまでの興味がなかった僕は、その中では無骨な5000Cに目を奪われた。低いギヤ比は実釣向けには厳しかったけれど、装飾を廃したシンプルな外装に性能美を、クラシカルな波形プレートに歴史を感じた。
これに比べると銀の5500Cは華美でお高くとまっているとさえ感じたものだ。まあ、実は少しでも安価なものの方が親近感を持てたということでもあり、実際に本当に欲しかったのは僕でも買えそうな赤の5000だったりしたのだけど。
◇
当時、いつもの池や釣具店に一緒に行ってつるんでいた友人が数人いた。その一人のK君は、いつでも僕と対照的な趣味をしていた。僕が5000Cと言えば彼は5500C、ダイワと言えばシマノ、ドリンカーと言えばブルドッグ(byオリムピック)。趣味は対照的だったけど、なぜか気は合って、僕は彼とのそんな毎日の会話が楽しみだった。
小学校を祖卒業する日が近づいて、僕らは年を越した。年末に、僕は彼と一つの約束をしていた。
「お年玉もらえる?」
「少ないけど、なんとか・・・」
「俺も。じゃあ二人してリール買おうぜ。そんで始業式の前日に釣りに行って、そこで見せ合おう」
「分かった、何を買うかはお互いに秘密な」
「俺すげえの買うよ。アレ。分かるだろ」
「俺だって。もう分かってるだろうけどアレだよアレ。買っちゃうよ」
「本当に買っちゃったらすごいよ、それ」
その時僕たちの間では、当時ABUのカタログから姿を消した2500Cと、ニューモデルの3500Cのどっちがいいかというくだらない話題が盛り上がっていた。その頃流行していたハンドメイド・ミノーやズイールのルアーの影響で、軽量なものを投げられるリールに関心が高まったのだ。
クラシカルな2500Cを推したのは権威と伝統に憧れるK君で、パーミングカップの3500Cを支持したのは新しもの好きな僕の方だった。
どちらも店頭価格が3万円台と、普段の僕たちには買えもしない値段だった。その頃の3万円は、今なら5万円以上の価値があっただろう。ダイワやシマノの中堅ラインは2万円弱で手に入った。ロッドやルアーも満足に持っていない僕たちは、年に一度のお年玉をリールだけで使い切ってしまうことにはかなりの勇気が必要だった。
でも、二人してリールを買おうと言った彼の目は真剣で、そして挑戦的だった。僕が使っていたのはダイワのミリオネアST-15で、彼はシマノのバンタム10SG。ともにエントリーモデルだった。性能的には何の問題もなかったけれど、マグサーボやアンバサダーを手に入れる友人が増え、どことなく肩身が狭い思いをしていたのは彼も同じだったのかもしれない。
彼が言い出した約束には、二人で成長しようという無言の意図が込められていた。僕は本当はMr.DONのロッドも欲しかったけれど、そんな彼の言葉に乗ることに決めた。竿は後回しだ。大人になるために、リールを手に入れよう。それはアンバサダー以外にはない。
◇
正月が来て、僕は予想とほぼ同額のお年玉を手に入れた。2万5000円。当時としては平均的な額だったと思う。これに小遣いの残りを加えて、3万円ちょっとが資金となった。子どもにしては高額な資金を一気に使ってしまうことに親は難色を示したが、拝み倒して僕は釣具店に出向いた。
新年セールもアンバサダーには関係なく、いつもの値段で売られていた。これは織り込み済み。憧れの5000Cは手持ちでは手が届かない値段だった。これも分かっている。僕はショーケースを真剣に見渡し、そして落胆した。欲しい3500Cは姿がなかった。
店主に聞くと、「ちょっと前に売れちゃったよ」ということだった。「代わりにこれはどうだい?」と倉庫から出してきてくれたのは、シルバーの2500C。よりによって、と僕は思った。あいつが2500Cを買うのは間違いない。僕に「3500Cなんてだせえよ。25Cの気品を知れ」なんて得々と喋ってたあいつのことだ。
でも、店主が手渡してくれた2500Cは、それはもう魅力的な代物だった。新品のABUなんてほとんど触ることも許されなかった僕にとって、精緻な刻印もずっしりと冷たいボディも、シルキーなギアの回転感も、何もかもが圧倒的な存在感だった。
憧れたアンバサダーが、今、僕の手の中にある。しかも、僕はそれを買える。これを自分のスーパーパルサーにつけて、流麗なキャストをしている自分を想像してしまった。身震いがした。
触って眺めるうち、彼の言葉が思い出される。「やっぱり伝統のフォルムだろ。シンプルでまさにアンバサダーって感じ。機構が古い?変える必要がないんだよ」。何かだんだんその気になってきた。仲がいい彼とお揃いなのも、悪くないかもしれない。僕が「これ下さい」と言ってしまったのは無理からぬことだった。
息を切らせて家に帰って、その晩は嬉しさで眠れなかった。何度もハンドルを回し、重さを確かめ、必要以上にオイルを注し、とっておきのストレーン10lbsを巻いた。小型とはいえ重厚な存在感が僕を魅了した。
◇
しかし彼との約束までにはまだ、日があった。僕は2500Cを傷一つない状態で彼に見せたくて、一度も外に出さず手の平の上でいじっていたけれど、日が経つにつれ、次第に小さな後悔が芽生え始めた。
3500Cが欲しい。
カタログを再読するにつけ、3500Cの独特でポップなデザインが以前以上に気になり始めた。当時から人とは違うものが欲しかった自分には2500Cはやっぱり古くさく見え、好きではなかった5500Cの縮小版のように写った。これは素晴らしいリールだけど、やはり僕が持つべきなのは3500Cではないのか。少しずつ2500Cを買った嬉しさが色あせていく。
それでも約束は約束だ。僕が2500Cを見せたら、彼はそれなりに驚くに違いない。その日、僕はスーパーパルサーに2500Cをセットしていつもの池に赴いた。
K君はすでにそこで待っていた。お互いにタックルを背中に隠して近づく。
「何買ったんだよ」
「アレに決まってんだろ。やっぱすげーぞ」
「俺はちょっと予想を裏切ったよ。見て驚くな」
同時に見せることになった。せーの、でタックルを前に出した僕たちは、お互いにあっと驚き、そして大声で笑い出した。
僕は2500C。そして彼は、3500Cを買っていた。
「2500Cと並べて見てたらさ、なんか3500Cもいいなって思って、つい。お前があんまりいいって言うから」と彼。買ったのは同じ釣具店だった。お前だったのか。おかげで僕は2500Cを買う羽目になったよ。
「そうだったの?あれで売り切れだったんだ」と彼は言って、小声で呟いた。「残念かもな。俺、お前とお揃いでもまあいいかと思ってたんだけど」
お互いにタックルを交換して触ってみる。やはり3500Cはポップでクールで、とにかく格好良かった。すると彼はこう言った。「3500Cはすごくいいけど、でも、やっぱり2500C買っておけば良かったかなあ・・・。こうやって触ってみるとさ、やっぱり2500Cの方が・・・」
僕たちは顔を見合わせて、また笑い出した。お互いの考えていることが手に取るように分かったからだ。日没まで釣りをして、魚は釣れなかったけれど、僕たちはそれぞれ、笑顔で家路についた。僕は3500Cを、そして彼は2500Cを持って。
◇
彼とは通う中学校が別になり、次第に疎遠となった。彼が県外に転校してしまったのを知ったのは共通の友人を介して、もう20年近く前で、それ以来彼とは会っていない。
それでも、僕はこの3500Cを使うたびに、彼のことを思い出す。あの池の風景や、同じルアーを使って飛ばしっこをやったこと、ザラスプークを投げたときの竿の弾力までが、20年以上経っても鮮明に思い出せる。そして、その記憶の中の彼はいつも、お互いのリールを見て吹き出した時の、あの笑顔だ。
黒の5000Cと銀の5500Cはどちらが格好いいか。ボロンとウイスカーはどちらが高感度で強いのか。
そのころ、僕らの話題と言えばそんなことばかりだった。肝心のバスを釣る方法については、トーナメントワームをちぎって使ったり、シャロークランクをゆっくり巻く、ぐらいの曖昧なメソッドしか語れなかったくせに。
カタログや店頭のガラスのショーケースに飾ってあるところしか見られなかったアンバサダーは、小学生の僕たちにはまさに高嶺の花で、だからこそ僕たちの憧れだった。お年玉を何年分もまとめないと買えない値段はもちろん、ABUが築き上げたブランドバリューと存在感は、子どもたちにとって「10年早い」と思わせるに充分だった。
その頃、釣具店は子どもが行く場所ではまだなかったのだ。おいそれと店の人に「見せてくれ」と頼むこともかなわず、手に取ったことすらない品がほとんどだった。
ちょうどそのころ、合併によりアブ/ガルシアと名前を変えたABUは、次々とニューモデルを発表していた。ウルトラマグ、FL/CBシリーズ、アウトスプールのカーディナル・・・。だが、やはり人気の中心はABUを象徴する5000番台を中心とした復刻品だった。
もっとも、新しもの好きだったので復刻版にそこまでの興味がなかった僕は、その中では無骨な5000Cに目を奪われた。低いギヤ比は実釣向けには厳しかったけれど、装飾を廃したシンプルな外装に性能美を、クラシカルな波形プレートに歴史を感じた。
これに比べると銀の5500Cは華美でお高くとまっているとさえ感じたものだ。まあ、実は少しでも安価なものの方が親近感を持てたということでもあり、実際に本当に欲しかったのは僕でも買えそうな赤の5000だったりしたのだけど。
◇
当時、いつもの池や釣具店に一緒に行ってつるんでいた友人が数人いた。その一人のK君は、いつでも僕と対照的な趣味をしていた。僕が5000Cと言えば彼は5500C、ダイワと言えばシマノ、ドリンカーと言えばブルドッグ(byオリムピック)。趣味は対照的だったけど、なぜか気は合って、僕は彼とのそんな毎日の会話が楽しみだった。
小学校を祖卒業する日が近づいて、僕らは年を越した。年末に、僕は彼と一つの約束をしていた。
「お年玉もらえる?」
「少ないけど、なんとか・・・」
「俺も。じゃあ二人してリール買おうぜ。そんで始業式の前日に釣りに行って、そこで見せ合おう」
「分かった、何を買うかはお互いに秘密な」
「俺すげえの買うよ。アレ。分かるだろ」
「俺だって。もう分かってるだろうけどアレだよアレ。買っちゃうよ」
「本当に買っちゃったらすごいよ、それ」
その時僕たちの間では、当時ABUのカタログから姿を消した2500Cと、ニューモデルの3500Cのどっちがいいかというくだらない話題が盛り上がっていた。その頃流行していたハンドメイド・ミノーやズイールのルアーの影響で、軽量なものを投げられるリールに関心が高まったのだ。
クラシカルな2500Cを推したのは権威と伝統に憧れるK君で、パーミングカップの3500Cを支持したのは新しもの好きな僕の方だった。
どちらも店頭価格が3万円台と、普段の僕たちには買えもしない値段だった。その頃の3万円は、今なら5万円以上の価値があっただろう。ダイワやシマノの中堅ラインは2万円弱で手に入った。ロッドやルアーも満足に持っていない僕たちは、年に一度のお年玉をリールだけで使い切ってしまうことにはかなりの勇気が必要だった。
でも、二人してリールを買おうと言った彼の目は真剣で、そして挑戦的だった。僕が使っていたのはダイワのミリオネアST-15で、彼はシマノのバンタム10SG。ともにエントリーモデルだった。性能的には何の問題もなかったけれど、マグサーボやアンバサダーを手に入れる友人が増え、どことなく肩身が狭い思いをしていたのは彼も同じだったのかもしれない。
彼が言い出した約束には、二人で成長しようという無言の意図が込められていた。僕は本当はMr.DONのロッドも欲しかったけれど、そんな彼の言葉に乗ることに決めた。竿は後回しだ。大人になるために、リールを手に入れよう。それはアンバサダー以外にはない。
◇
正月が来て、僕は予想とほぼ同額のお年玉を手に入れた。2万5000円。当時としては平均的な額だったと思う。これに小遣いの残りを加えて、3万円ちょっとが資金となった。子どもにしては高額な資金を一気に使ってしまうことに親は難色を示したが、拝み倒して僕は釣具店に出向いた。
新年セールもアンバサダーには関係なく、いつもの値段で売られていた。これは織り込み済み。憧れの5000Cは手持ちでは手が届かない値段だった。これも分かっている。僕はショーケースを真剣に見渡し、そして落胆した。欲しい3500Cは姿がなかった。
店主に聞くと、「ちょっと前に売れちゃったよ」ということだった。「代わりにこれはどうだい?」と倉庫から出してきてくれたのは、シルバーの2500C。よりによって、と僕は思った。あいつが2500Cを買うのは間違いない。僕に「3500Cなんてだせえよ。25Cの気品を知れ」なんて得々と喋ってたあいつのことだ。
でも、店主が手渡してくれた2500Cは、それはもう魅力的な代物だった。新品のABUなんてほとんど触ることも許されなかった僕にとって、精緻な刻印もずっしりと冷たいボディも、シルキーなギアの回転感も、何もかもが圧倒的な存在感だった。
憧れたアンバサダーが、今、僕の手の中にある。しかも、僕はそれを買える。これを自分のスーパーパルサーにつけて、流麗なキャストをしている自分を想像してしまった。身震いがした。
触って眺めるうち、彼の言葉が思い出される。「やっぱり伝統のフォルムだろ。シンプルでまさにアンバサダーって感じ。機構が古い?変える必要がないんだよ」。何かだんだんその気になってきた。仲がいい彼とお揃いなのも、悪くないかもしれない。僕が「これ下さい」と言ってしまったのは無理からぬことだった。
息を切らせて家に帰って、その晩は嬉しさで眠れなかった。何度もハンドルを回し、重さを確かめ、必要以上にオイルを注し、とっておきのストレーン10lbsを巻いた。小型とはいえ重厚な存在感が僕を魅了した。
◇
しかし彼との約束までにはまだ、日があった。僕は2500Cを傷一つない状態で彼に見せたくて、一度も外に出さず手の平の上でいじっていたけれど、日が経つにつれ、次第に小さな後悔が芽生え始めた。
3500Cが欲しい。
カタログを再読するにつけ、3500Cの独特でポップなデザインが以前以上に気になり始めた。当時から人とは違うものが欲しかった自分には2500Cはやっぱり古くさく見え、好きではなかった5500Cの縮小版のように写った。これは素晴らしいリールだけど、やはり僕が持つべきなのは3500Cではないのか。少しずつ2500Cを買った嬉しさが色あせていく。
それでも約束は約束だ。僕が2500Cを見せたら、彼はそれなりに驚くに違いない。その日、僕はスーパーパルサーに2500Cをセットしていつもの池に赴いた。
K君はすでにそこで待っていた。お互いにタックルを背中に隠して近づく。
「何買ったんだよ」
「アレに決まってんだろ。やっぱすげーぞ」
「俺はちょっと予想を裏切ったよ。見て驚くな」
同時に見せることになった。せーの、でタックルを前に出した僕たちは、お互いにあっと驚き、そして大声で笑い出した。
僕は2500C。そして彼は、3500Cを買っていた。
「2500Cと並べて見てたらさ、なんか3500Cもいいなって思って、つい。お前があんまりいいって言うから」と彼。買ったのは同じ釣具店だった。お前だったのか。おかげで僕は2500Cを買う羽目になったよ。
「そうだったの?あれで売り切れだったんだ」と彼は言って、小声で呟いた。「残念かもな。俺、お前とお揃いでもまあいいかと思ってたんだけど」
お互いにタックルを交換して触ってみる。やはり3500Cはポップでクールで、とにかく格好良かった。すると彼はこう言った。「3500Cはすごくいいけど、でも、やっぱり2500C買っておけば良かったかなあ・・・。こうやって触ってみるとさ、やっぱり2500Cの方が・・・」
僕たちは顔を見合わせて、また笑い出した。お互いの考えていることが手に取るように分かったからだ。日没まで釣りをして、魚は釣れなかったけれど、僕たちはそれぞれ、笑顔で家路についた。僕は3500Cを、そして彼は2500Cを持って。
◇
彼とは通う中学校が別になり、次第に疎遠となった。彼が県外に転校してしまったのを知ったのは共通の友人を介して、もう20年近く前で、それ以来彼とは会っていない。
それでも、僕はこの3500Cを使うたびに、彼のことを思い出す。あの池の風景や、同じルアーを使って飛ばしっこをやったこと、ザラスプークを投げたときの竿の弾力までが、20年以上経っても鮮明に思い出せる。そして、その記憶の中の彼はいつも、お互いのリールを見て吹き出した時の、あの笑顔だ。
Posted by ポンプ小屋マスター at 23:59│Comments(3)
│追憶
この記事へのコメント
はじめまして、silverと言います。
足跡を辿って来ました。
私も古くからのバサーなので『3500C』の話、楽しく読ませて貰いました。
小さかった頃、圧倒的に憧れな存在だったABUリール。
大学生になってから、欲しいものを次々に手に入れましたが、今では機構の古さから眺めるだけの存在になりましたが、
でも、手放す気にならないのは、きっとあこがれの存在だったからかも知れませんね。
足跡を辿って来ました。
私も古くからのバサーなので『3500C』の話、楽しく読ませて貰いました。
小さかった頃、圧倒的に憧れな存在だったABUリール。
大学生になってから、欲しいものを次々に手に入れましたが、今では機構の古さから眺めるだけの存在になりましたが、
でも、手放す気にならないのは、きっとあこがれの存在だったからかも知れませんね。
Posted by silver at 2006年07月22日 01:25
silverさん、初めまして。コメントありがとうございます。
ブログ、いつも楽しく拝見させていただいております。当地には管釣りがないので羨ましい限りです・・・
つまらない文章(おまけに長文)読んでいただき恐縮です。
僕も今は国産各社のニューモデルばっかり使っていますが、やっぱりABUへの憧れはあの頃から続いています。
後年、入手されたsilverさんのお気持ちが良く分かります。なんかこう、敵討ちのように買っちゃうんですよね。
今後とも、気が向かれましたらお立ち寄り下さればうれしいです。
僕もsilverさんのブログ、楽しみに読ませていただきます。
ブログ、いつも楽しく拝見させていただいております。当地には管釣りがないので羨ましい限りです・・・
つまらない文章(おまけに長文)読んでいただき恐縮です。
僕も今は国産各社のニューモデルばっかり使っていますが、やっぱりABUへの憧れはあの頃から続いています。
後年、入手されたsilverさんのお気持ちが良く分かります。なんかこう、敵討ちのように買っちゃうんですよね。
今後とも、気が向かれましたらお立ち寄り下さればうれしいです。
僕もsilverさんのブログ、楽しみに読ませていただきます。
Posted by ポンプ小屋マスター at 2006年07月22日 01:53
こんにちは。
7年前のブログにコメントしちゃいますw
めっちゃ面白く懐かしく読ませて頂きました。
私も今でも当時の大切な思い出に浸る為に当時の道具を使う事多いです。
またこの様な記事お待ちしています!
7年前のブログにコメントしちゃいますw
めっちゃ面白く懐かしく読ませて頂きました。
私も今でも当時の大切な思い出に浸る為に当時の道具を使う事多いです。
またこの様な記事お待ちしています!
Posted by キロリトーマン at 2013年11月26日 14:07
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